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三国志~ぽたる伝~第五回
2006年02月18日 (土) | 編集 |
三国志~ぽたる伝~第五回

呉イ軍の領土である蜀の奪取を命ぜられたIK軍第一軍団長ぽたる様。
配下の武官は黄忠、Dud、霜月といった勇将。
軍師には鳳雛を据え、新たに登用した馬良、馬ショクといった文官が脇を支えます。

呉イ軍の主だった武将は以下の通り。
武官では張任が頭一つ飛びぬけ、呉蘭、雷同が続きます。
しかし、怖いのはそれを補佐する謀臣達。
諸葛亮、法正、張松の3人はかなり怖い存在です。

果たして、ぽたる様vs諸葛孔明の戦いは見られるのでしょうか?

以下、つづく

15年目
この年の4月に、芋率いる部隊が呉イ軍の領土・永安を急襲し陥落させます。
これにより、ぽたる様が狙う上庸への敵援軍が減り、かなり有利な展開になりました。
芋最高ヒャッホー!

208年10月 上庸の戦い
敵の総大将は雷同、軍師は張松の率いる98000。
立ち向かうぽたる様の総勢は80000。

敵は象兵を前面に押し出し、後方から弓で攻撃をしてきます。
敵砦前へ馬良が火矢を打ち込んだところ、火罠に引火。
あたりは火の海へと変貌してしまいます。
20060218060141.jpg

しかしここでぽたる様、軍師・ホウ統の力を借り風変を発動。
20060218060644.jpg

敵の砦が風下なり、火はそちらへと燃え広がっていきます。
火に巻かれた敵は大混乱、敵将達も次々と負傷し戦局は大きく傾きます。
豪雨で火が消えた時には、敵軍の数は27000まで減少。
かたやIK軍は60000と勝負は決しました。

武功 第一:王威 第二:大佐 第三:霜月

16年目
漢中太守・ホウ義に対し、ぽたる様は金をばら撒き離間の計を実行します。
これにより、ホウ義は周囲に疑われ疑心暗鬼に陥ります。
頃合を見計らい、こーへーに宝物を持たせ使者としてホウ義の元へ送ります。
これにより漢中太守・ホウ義はIK軍への寝返りを承諾。
部下の雷同と共にIK軍に下り、ぽたる様は戦わずして漢中を占領します。
孫子曰く「百戦百勝は善の善なるものにあらず。戦わずしてこれを降す事こを善の善である。」

209年10月 漢中の戦い
占領したばかりの漢中に馬騰軍66000が攻め込んできたとの事。
ぽたる様は、援軍として68000を派遣。
漢中の守備部隊とあわせ85000となるものの、正規部隊は17000。
これが倒されれば、敗北となってしまいます。

漢中は険しい山々が連なっており、砦へと向かう道は山道と森を抜けるルートの2つ。
ぽたる様は、山間部には弓兵部隊の黄忠と自身を配置。
森にはDud、霜月、ホウ統といった撹乱・奇襲を得意とする歩兵を潜ませます。
ぽたる様の読み通り、敵は二手に分かれ進軍。
山間部の敵は高みからの矢により狙い撃ちにし、森の敵は撹乱で浮き足立ったところを各個撃破します。
こちらの準備が万全と見た敵は早々に撤退を決め退いていきました。

武功 第一:黄忠 第二:Dud 第三:雷同

戦に勝ったぽたる様ですが、マスタから軍団編成の通達を受けます。
これによりぽたる様が治める都市は、上庸・襄陽・新野の3都市に。
打倒呉イ軍を命ぜられていますが、呉イ軍の領土と接している所がありません。
よもや、ぽたる様はマスタに危険視され干されてしまったのでしょうか!?

17年目
新年早々、懲りずに馬騰軍が漢中へと侵攻。
援軍を求められたぽたる様は、50000を率い急行します。

210年1月 漢中の戦い
敵は前回と違い、山岳騎を編成し素早い行軍で砦前へと進軍してきます。
しかし、いくら行軍速度は速くとも砦周辺は森。
騎馬の攻撃力である突撃ができない為、撃退は容易です。
途中、馬騰の息子で蜀の五虎大将の一人・馬超から霜月へ一騎打ちの申し込みがあります。
20060218073843.jpg

そして、激戦の結果・・・
20060218074301.jpg

この結果、敵軍は戦意をなくし壊走。
再び、漢中の防衛に成功します。

夏、マスタからあたらな軍団方針が・・・
「呉イ打倒を撤回し、軍団方針は特に定めないものとする。」
完全に窓際に立たされたかもしれないぽたる様。
しかし、それでもぽたる様は懸命にIK軍に尽くします。
冬には、再び離間の計をもって劉ショウを味方につけ成都を陥落させます。

18年目
再び馬騰軍が漢中へ侵攻してきました。
援軍を求められたぽたる様は、干されながらも誠意を見せようと50000の兵を率い向かいます。
黄忠、霜月は別都市へ転属となった為、援軍の戦力も低下しています。

211年7月 漢中の戦い
ぽたる様が60000ほど兵士を輸送していた為、IK軍が馬騰軍の倍ほどの兵力。
かなり堅牢な為、守りは他の部隊に任せてぽたる様は敵の後方を目指します。
そして敵の攻撃拠点を制圧。
補給を絶たれた敵は撤退し、見事守り抜きます。

戦の後、成都太守・劉ショウが馬騰軍に寝返りぽたる様の功績は水の泡に。

冬に何度目か・・・馬騰軍が漢中へ侵攻。
いつもの如く救援を求められますが、嫌気のさしたぽたる様は援軍を断ります。
それでも防衛には成功。
ますますぽたる様の存在価値が疑問視されてしまいます。

一方、マスタは袁術軍と袂を分かち反袁術連合に参加。
何度もマツ陵に攻め込むも落とせず陸績、劉豹、陳横と言った部下が捕まり処断されてしまいます。

再び漢中に馬騰軍が攻め寄せた模様ですが、ぽたる様は完全に日和見を決め込んだ結果・・・
漢中はついに陥落、劉循が捕まり首を刎ねられます。
この結果、ぽたる様の都市・上庸は馬騰軍との前線に。
マスタからも打倒・馬騰軍の命令が下り、ぽたる様は再び前線へと復帰する事になりました。

現在の情勢。
20060218084455.jpg

そして、現在のぽたる様。
20060218084650.jpg

一流の軍師並の知力になってきましt・・・
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2006/02/18 08:47 | 三国志 | Comment (0) Trackback (0) | Top▲
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