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源義仲について
2005年12月16日 (金) | 編集 |
こんにちは、昼飯はハイチュウですが何か?
どうも、芋です(・ω・)ノ

今週もきました、仏教講義「共生人間論」
内容は、日本の神仏混合についてという感じでした。
本日の講義で耳に残った単語。
大宇宙、小宇宙、心身一如。
「御宮には鏡が祭ってある。その鏡とは大宇宙を映し出している」とか言ってましたけど、そうなのでしょうか?

講義の中でスクリーンに画像が映し出されるのですが、その中に鳥居の画像があったんですが。
どっかで見たことあると思ったら、長野の某所にある鳥居でした。
・・・まぁ、私の実家から見える場所だった訳で。
講義に少し親近感が沸きました

源義仲は関係ないじゃん、と思われるでしょうが・・・
その鳥居の写真の場所が関係あるんです。
この場所、源義仲が旗揚げしたとされる場所なんです。

以下、源義仲の話。

源義仲(1154~1184) 幼名:駒王丸
先日終了した、大河ドラマの義経の中にも登場した武将なので知ってる方もいると思います。
一般的な本やドラマなどだと、義仲の扱いは結構酷いものです。
田舎侍、礼儀知らずで、見た目は色黒やごつい男みたいなのが多いですが・・・
それは違うだろう、といいたい部分が結構あります。
そこら辺を、適当に書いていきます。

義仲の容姿については、文献では色白の美男子という記述があります。
頼朝みたいに、肖像画が実は別人だった人とは違います(・ω・´)
意外に知られていませんが、第二代征夷大将軍だったりもします。
京都で略奪を働いた乱暴者っぽい扱いですが、あの頃の兵糧は現地調達が多く、兵站もあまり整ってはいません。
苦労して上京したが、兵量に困れば略奪が起こるのも至極当然です。
自分たちを守る軍への兵量供出を満足にできない後白河政権に、義仲が呆れ、怒り、焼き討ちをしたのも止むを得ない面もあります。
ここら辺は、後白河の側近であった人物の記録からも後白河批判がなされています。
簡単ではありますが、上記の事柄などから私は思います。
芥川龍之介や、松尾芭蕉が惚れ込んだ義仲。
その義仲は乱暴者では無く、悲劇のヒーローだったように感じられます。

余談ですが、義仲以上に有名な女武者の巴御前は、実在した人物かもわからないようですね。
それと並んで気になるのは、義仲軍の中にいたとされる葵御前という人物。
一説では栗田別当ハンガクの娘だとありますが、巴御前と並んで戦っていた女武者と考えると、話としては面白いなぁと感じる昼下がり(・ω・)
ノシ
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2005/12/16 12:48 | 雑記 | Comment (4) Trackback (0) | Top▲
コメント
この記事へのコメント
巴御前は義仲と別れた後行方不明だとか諸説が結構あるね。
義仲周辺は結構人気あるみたいだねぇ。巴御前をパロった話の漫画とかあったし。
あと辞めた人間から言わせてもらうとだ。
強制人間論は呆れて物もいえねぇぜと、実習なんて糞くらえだぜファック!
ってかんじ
2005/12/17(土) 04:35:59 | URL | 在日印度人 #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2005/12/17(土) 13:30:23 | | #[ 編集]
>>在日
巴御前は落ち延びた後、出家して長寿を全うしたって説もあるね。
説が結構あって、面白かった記憶はある。

>>管理人のみ閲覧
確認して無かったけど、なんかまずい内容だった?
2005/12/18(日) 04:35:46 | URL | いも #-[ 編集]
管理人のみ閲覧できます
このコメントは管理人のみ閲覧できます
2005/12/18(日) 11:50:19 | | #[ 編集]
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